大島義清伝
「人造石油政策の破綻と大島義清の葛藤」 市川 新著
昨年4月に完成した大島義清伝「人造石油政策の破綻と大島義清の葛藤」を国会図書館に寄付したところ、蔵書として登録されました。請求番号はDL511-L9ですが、複写のみとなっているようです。
著者名(市川新)、個人名(大島義清)、普通件名(人造石油)でもそれぞれ検索できますので、試してください。なお、大島がかって勤務していた東京大学(経済学部)、産業技術総合研究所(燃料研究所が発展したところ)、北海道大学工学部にも寄付をしたところ、それぞれ受理され閲覧できるようになっています。
書いている最中3・11、東日本大地震が発生し、日本のエネルギー政策そのものが問われるようになりました。
現在は中東に石油を依存しており、「自前のエネルギー」として原子力発電が考えられていますが、戦前では石油をアメリカに依存していたので、自前のエネルギーとして人造石油が取り上げられ、国策としてその技術の開発と実用化が図られたのです。最終的には人造石油技術が成功せず、ある意味「エネルギーの枯渇による敗戦」となりました。その間の化学者・技術者大島の活動と奮戦、挫折の記録をかなりの程度書けたのではないかと思っています。
内容を簡単に書きますと、全12章で、最初の2章は大島の生い立ちを記しています。
第3章以降が大島の活動を中心とした国策として行われた人造石油事業の記録です。
各章は大島の4-5年に一度行った海外出張で区切り、それぞれの時期の人造石油事業の国内、国外の動きを詳細に書いたものです。即ち1922年1926年、1930年、1936年、1941年の外国出張で区切り、それぞれの章を立ててその期間の人造石油技術の歴史と大島の関与を述べています。
1936年以降の2期間については、内容が多くなったので、2章づつに分けて書いています。
最後に戦後の追放時代の姿を書いて終わっていますが、付録と言う形で「第12章:失敗学から見た人造石油事業」と題して、資料を蒐集して感じた個人的な「分析」を記しました。
この資料を書くに当たり、おおよそ1000件の文献を蒐集しました。東京大学工学部の応用化学科の図書室を始め、同大学経済学部図書館、総合図書館、教養学部図書館で資料を集めましたが、文献数と言う面では国会図書館が一番多かったものと思っています。そのほか、国内では北海道大学工学部図書館(武谷愿文庫)、神戸大学図書館(渋谷文庫)、北海道の滝川市の自然史館まで足を延ばして資料収集に当たりました。さらにアメリカの議会図書館(ワシントンDC)、国立公文書館(メリーランド)にも出向き「公開された資料」もその対象にしました。
分析の1つの柱として特許申請書、公告を利用しました。技術、とくに科学技術、とくに化学技術は日進月歩の世界なので、その技術の動きを後から追跡することは極めて困難であるというか、不可能です。それをカバーするためにその当時出願された人造石油技術に関する特許269件を読み解き、人造石油技術の進歩の過程を追跡しました。
特許には、アイディアの段階、実験室規模の段階、パイロット施設でのもの、実際の製造施設に関するもの等様々なものがあり、それを技術の進歩を見るものとして利用するのに苦労しました。その最大の理由は、技術が細部にわたっていることもありますが、出願(公告も含めて)された特許の文書がきわめて難解な日本語(化学物質の名前も含めて)、長文で主語・述語が特定しづらい等、読解には苦労しました。
しかし最近のコンピューターシステムと言うか検索システムにより、家のパソコンで特許をコピーできたのでこのような難作業もなんとかこなすことが出来ました。
一読されご意見賜れば幸いです。