以下の記事は、「市川夏子」三男 市川新さんが書かれた物です。
私の家は、江戸時代の蘭方医:桑田立斉の長女の家系(立斉の長女(貞)の長女の長女(信子)の長女(雪)の長女(夏))です。
そんな関係もあり、先日(昨年ですが)秋子おばさまから立斉の孫(雪さんの伯父さん)に当たる桑田權平氏の自伝を貸していただきました。
桑田權平さんは、慶應幼稚舎を出て、すぐアメリカに留学し、中学からアメリカ育ちです。多分、医者にしたいと思って留学させたのだと思いますが、正確には分かりません。
マサチュウセッツ州のノーザンプトン高校を経て、ウスター工科大学(現在ウスター工学院)の機械科に入りりました。
その自伝の中に、大学時代の生活が書いてあり、そこにアメリカンフットボールを、それもQBをしていたこと、そして試合中に激しいタックルを受けて脳震盪になったことが書いてあり、それでフットボールはやめた。と記されていました。
日本では、アメリカンフットボールは昭和9年に立教、早稲田、明治の3大学が部を作り、そのころやってきた全米チーム(それに対抗するために各大学で準備を始めたというのが真相)と対戦したのが、最初といわれ、一昨年75周年記念が行われました。
しかし、桑田權平さんは、それより約40年前にフットボールをしていた、ということになり、日本人として最初のフットボーラ-ということになるのではないかと思っています。
そこで、昨年12月に彼の母校WPIにその旨を問い合わせたのですが、音沙汰なく、ひどいな、アメリカらしくない、と思っていたのですが、2月24日、メールに返事がきました。マスコットの誕生会の写真を見せたいために遅れたのかもしれません。
そこで、大学のマスコット「山羊」の名前が「權平」となっていることを初めて知り、すごい人が親戚にいると思い、感動して久子おばさんに報告した次第です。たまたま治郎さんの所に写真の解像をお願いしていたので、それに合わせた形でWPIからメールが来たのでびっくりです。
こんな人がいるのは、誇りでもありますね。
- 市川 新 記 -
・2011/02/23:WPIのゴンペイバースデーパーティの様子(ウスター工科大学のサイト)
Gompei'sBirthday!(You Tube)