市川新さんの調査によりますと、我々は桑田立斉という江戸時代の蘭方医の6代目ということになるそうです。
彼は日本に種痘を定着させた功労者の一人で、江戸時代の交通不便な時代に、北海道・・それも国後島まで・・に行き、アイヌの人に種痘をしてきた人です。
本人の滞在は約3カ月で6000人ほどで、彼の弟子は越年して合計13000人ほどに種痘をしてきたようです。
今年は日本に種痘が入って160年にあたります。
北海道での桑田立斉の活躍に感激したその当時の函館の豪商が、その活動ぶりを絵にして、当時の函館奉行村垣淡路守に差し上げました。
江戸に帰った立斉はこの絵を借り出して、複写(たぶん江戸の浮世絵師に頼んで)させ、桑田家にあったそうです。
戦争が激しくなり、この絵の消失を恐れた桑田立斉の孫の桑田權平さんという方が、この絵をもとにして京都の絵師に依頼して2枚複写させました。そして1枚は北海道大学、一枚は阪大に寄付したそうです。
これらは今でも大事に保存されているそうです。(ただ大阪大学の分は私が調べた範囲では、寄付されたことは残っているが、現物はどこにあるか不明との回答でした)
原図ともいえる村垣氏所蔵の絵はまわりまわって(古物商を経て)現在東北福祉大学芹沢圭介工芸館に保存されています。
桑田家にあったものは、權平さんが本家に返さず保存していたそうですが、戦後保管していた蔵に泥棒が入り、盗まれたそうです。それがいろんなルートを経て現在新潟市にお住まいの個人の方が所蔵されています。
偶然それがわかったので、7月8日にそれを見に新潟に行くことになりました。
そのご報告は、また次回にさせて頂きます。
参考サイト:
・北大付属図書館蔵:蝦夷人種痘之図(前掲)
・桑田立斎著 嘉永2年(1849)(賀医科大学附属図書館蔵)
・桑田立斎像